寺院概要

◎歴史

量剛寺は、慈覚大師が現在の中国への密教留学から帰国し京へ戻る途中、西暦847年に創建した寺院です。元々は、現在の岡山県笠岡市大島中、御嶽山にありました。大伽藍だったそうですが、その後の戦乱で荒廃し、そのまま忘れ去られていました。

◎復興

当山の山主(住職)は、慈覚大師創建の由緒ある寺院が廃寺のままになっていることを憂い、2016年12月に復興させました。山号は元の御嶽山から三輪山に変更し、本尊を十一面観世音菩薩とすると共に、新たに興した圓密宗の総本山として位置づけました。未だ復興途中ですが、近い将来、伽藍を含め再建を遂げたいと考えております。復興中の寺務所は、東京都大田区内のマンション一室に置いております。

◎概要

宗旨 基本教義は天台圓教と天台密教の教えです。

本尊 十一面観世音菩薩、不動明王、毘沙門天の三尊形式

祈祷本尊 大聖歓喜双身天王(聖天様)

奥祈祷本尊 無上救世大勝神王大菩薩

有縁の菩薩・明王の各尊をはじめ、天河玉龍弁才天、双身毘沙門天、刀八毘沙門天、三面大黒点、荼吉尼天その他多数の神仏を奉祀

◎山主

天台宗比叡山延暦寺にて得度受戒、比叡山行院遂業(満行)、天台葉上流密蔵院灌室にて開壇伝法(三部都法大阿闍梨)その他法儀修得台密、東密の各大徳より種々の伝授・伝法を拝受する。

大阿闍梨として新流儀、大神流(おおみわりゅう)を創始。神傳法燈大阿闍梨として、弟子や在家行者等の指導・育成に当たる。

圓教・圓密とは

圓満な教えを意味します。古代中国では、大乗経典だけでなく上座部の経典も時代の前後に関係なく流入されて、仏法の理解に混乱が生じたために、諸経論の思想を分類する教相判釈が行われました。その流れのなかで、最上の究極な教えを選んで完全で圓満な教え(圓教)と位置づけました。何を圓教とするかは、僧侶により違いますが、当山では、天台智顗が掲げた「妙法蓮華経を圓教とする」教えをベースにしております。日本に傳教大師がもたらした天台圓教の教えは、個々の差を超えて全てが相互に融解し完成に至るという信念のもと、比叡山を中心に花開き、鎌倉仏教の各宗を生じさせて行きました。

圓密というのは、上述の圓教と密教とが不即不離であるとして、傳教大師が圓密一致を唱えられたことに発します。部分的ながら本格的な密教を日本に伝来させた最初の方は傳教大師で、顕教である法華経を軸とする法華圓教と、ヒンドゥー教の儀式などを取り入れた形の密教とが本質で一致していることを喝破されました。傳教大師の時点では、天台の密教(台密)は、後に帰国した弘法大師の密教(京都の東寺をトップとする密教なので東密と云います)と比べると部分的でしかないですが、傳教大師の志を継いだ慈覚大師らが留学して大量の経軌と行法を持ち帰り、東密と遜色のない体系へとなりました。慈覚大師が密教を学んだ唐の元政和尚は密教を「一大円教」と位置付けており、台密もこれをベースに作り上げられてきました。

当山では傳教大師の圓密一致を基礎に、法華圓教と密教を融合したものを「最高の圓教」としております。密教の法としては、基本は台密ですが、東密の大徳からも親しく伝授・伝法を受けておりますので、東密の法も実施しております。合掌